お賽銭が入らなかったときって何気にショックですし、何か縁起が良く無いんじゃ?って考えたり、縁起が悪いまでは行かなくても、願い事が受け入れてもらえないのでは?なんて考えたりしてしまいます。
実際はどうなのでしょうか?
そこでここでは、神社でお賽銭が入らなかった場合、縁起が悪いのか?もしくは願い事を受け入れてもらえないのか?など何かよく無い意味があるのかどうかを解説します。
神社でお賽銭が入らなかったら縁起が悪い意味はあるのか?
神社でお賽銭が入らなかったとしてもまったく問題ありません。お賽銭箱のある境内は神域なので、お賽銭箱に跳ね返って外れてしまって、床や地面に落ちてからと言って、当たりとか外れと言った概念はなく、ちゃんと奉納されたことになります。
そもそもお賽銭は、本来は投げ、入れるものではないのです。神社が防犯のためとお賽銭を集めやすくするためにお賽銭箱があるだけなので、神社でお賽銭が入らなかったからといって、縁起がよくなかったりだとか、願いは聞き入れてもらえない等といたあまりよくない意味はありません。ただ単に入らなかった事実が残るのみです。
お賽銭が入らなかった後にタイミングよく、歩いていて躓いたり、コケたり、ちょっとついていないようなことがあっても、別に気にする必要はないのですよ。たまたまそんなことがあったと思って忘れてください。
ただ、お賽銭回収のときに、神社の人がちょっと苦労するだけです。
お賽銭が外れたことを気にし過ぎないように!!
やっぱり放ったお賽銭が入らなかったら、何気に気にしてしまうのが人間です。「お賽銭が入らなかったら、何か縁起が悪いんじゃ?」と考えてしまっても仕方がありません。しかし、お賽銭が外れたこと自体には何の意味もなくても、そういった思い込みには注意が必要な場合もあるので気をつけてください。
例えば、それ自体には何の効果もない偽薬にでも、薬だといわれ思い込み飲んだ場合は、思い込みによる精神的変化により、体に良い変化をもたらす場合があります。いわゆる「プラシーボ効果(プラセボ効果)」と言うものですが、逆によくない薬だと思い込まされると、望ましくない効果が出る場合もあります。こう言った望ましくない効果を「ノセボ効果」といいますが、これは何も偽薬に限ったことではなく、スピリチュアルなことでも起こりうります。
占いやおまじないがもそうですが、ノセボ効果の良い例が「呪い」です。呪い自体には何の根拠や効果がなくても、呪われた人が、呪われたという思い込みから精神的に病んで、さらによくない事が全て呪われているからとなって、さらに精神的に追い詰められていきます。最悪命を落とすこともあるのです。
このように思い込みは、悪いことを現実化する力になることが言われています。呪いとまでは行かなくても、「縁起が悪い」と言った思い込みも案外バカには出来ません。
お賽銭はとにかく縁起いいと考えることが大事!!
しかし、善い事の思い込みも現実化する力を秘めています。「げんかつぎ」なんていいますが、侮ってはいけません。どこかのお祭りでは、マグロに賽銭を張り、落ちなければ祈願成就し落ちたら願いが叶わないとか、カワラケ投げ(土器投げ、瓦投げ)で輪に通せたら願いが叶うとか、くぼみに入れば祈願成就とか、色々あります。当たればいいことがあるけど、、外れたら今までどおりくらいがちょうど良い考えかも知れませんが、世の中には豊作の占いの矢当てで、的に当たったら豊作、逆に外れたら漁が栄えるという、どちらにしてもいいことしかない何とも都合の良いものもあります。
要するに、お賽銭が入らなかったから縁起が悪いのでは?ではなく、外れたらまた別にいいことがあるといったことを、自分勝手にルールを決めてしまって、良い思い込みをしましょう。「横断歩道の白いところだけを渡れたらいいことがある!」なんて子供じみたものとまったく同じ良いんです。何事も良い方に解釈できれば、本当に幸運を呼ぶこともおいにあります。さらに奥深く解釈するとするなら、あなたがどんな風に前向きで良い方向に受け考えられるかどうか?を試されていると言った所でしょうか?
最後に
お賽銭箱はただ単にお賽銭の回収ボックスでしかありませんでした。しかし思い込みの力は侮れないのも事実ですので、ポジティブに考えることも重要でした。それは自分勝手な願掛けルールでもいいのです。どうせなら悪い思考にとらわれず、ポジティブ思考で行きましょう。
でも、お賽銭を投げつけるのは神様に失礼なので、ちゃんと放るようにしましょう。
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